氷見往来 守山~氷見 下見^^

 守山
 守山からスタート。斜め道を進んで東海老坂の集落内を進むと思いきや、R160をそのまま進むのが本ルート。

 海老坂峠
 R160が本ルートと言っても、正確には二上山側の歩道辺りがそうだとか。
 当時の道幅は六尺で、約1.8m。歩道の方が広いのよね。
 でっ、画像は海老坂峠。明治期の国土地理院地形図では峠表記されてあるが、現在は無し。
 峠名の由来は、海老の様に腰を折り曲げて上がったからとか。
 江戸期までの物資の輸送は、人・牛・馬オンリー。
 荷車・荷馬車はダメだった。
 石を敷いた特別な場所では、荷馬車・荷車が許可された所もあるが、基本的に道を壊すので荷馬車・荷車はNG。
 その為、守山では物資を運ぶ「ボッカ」という荷役を生業とした人々がいたという。
 峠は過去何度かの工事で、勾配を緩くするために数m掘り下げられてある。

 地蔵堂
 峠から旧R160をちょい進むと地蔵堂がある。いつ来ても花が添えられてある。おまけに、洗濯物がお供えされてあるぞ。w
 峠付近は薄暗く、暗くなると「追いはぎ」がでたという。
 地蔵堂は、氷見から高岡に魚を卸す業者が峠の安全交通祈願に建立されたのが最初だとか。
 確か初代は明治初期に建てられ、この後道路の拡張や移転でなんどか作り替えられ、画像の地蔵堂は昭和四十八年建立で四代目じゃなかったかな。
 荷車で魚を運ぶが(荷車なんで明治期以降だろうね)、峠が難所なので手前の集落からで「綱引きじゃ~!」と声を上げ、荷揚げの手伝いを乞うたという。暇な者は手伝いして手間賃を貰ったという話が残る。

 小竹1
 氷見往来は現在の直線道路ではなく、結構くねくねしていたらしい。
 明治20年に改修され直進化された。
 小竹集落内に、当時の跡が残っている。

 小竹2
 上の画像から進むとこんなんなる。
 残念な事に、あっと言う間に途切れるけどね。

 小竹川沿い1
 小竹を過ぎるとなだらか~道。当時は、潟みたいな地で壮観な風貌だったとか。左手には和歌にも詠まれた藤波の社がある。芭蕉が新湊まで来て諦めた所だ。国泰寺の入口辺りに、和歌を刻んだ碑がでぇーんと在るんで拝んでおこう。
 でっ、往来は画像の鮨屋さん横から小竹川沿いを進む。小竹川は小竹を源流?とした川で、下流で泉川と名を蹴る見たい。「上泉を流れるから上泉川じゃないがけ?」と思う人は素晴らしい。^^
 上泉は単に泉と名乗っていたが、氷見にもう一つ「泉」という地名が在り、ややこしいので上泉にしたからとか。

 小竹川沿い2
 良い感じ~。川沿いに街道は進む。
 川は二上山の大地を離れ田園地帯を流れるが、田園整備で当時の流れではないだろう。
 進行方向を西から北に向け、R415柳田の西條中学校辺りで伏木からの浜往来と合流する。

 ここから氷見に進んでも面白く無いんで帰路。
 来た道を戻り、守山から四日市まで御上使道トレース。
 そう言えば、守山~氷見も御上使道だわ。汗
スポンサーサイト
23:59 : 旧街道:  トラックバック(-)  コメント(0)

コメントの投稿











 管理者にだけ表示を許可